伝統の中に息づく新しい潮流―新潟市白根仏壇店の事例から―
大野瑞穂
新潟県出身 田口洋美ゼミ
目 次 研究目的/研究方法/伝統的仏壇づくり/塗り師/蒔絵師/技術/使用されている原材料/生態系の変化と素材の枯渇/職人の育成/技術の持続性と環境
新潟白根仏壇は、元禄年間に伽藍師の初代長井林右ヱ門が仏壇技術を京都から取り入れた事が始まりと伝えられている。信濃川と中之口川の破堤により水没、大水害を繰り返す白根の開拓農農民にとっては、念仏こそが生きる支えであった。
昭和52年5月13日に新潟市白根仏壇業協同組合が設立した。組合設立前は45軒の仏壇店があった。その後昭和55年に伝統的工芸品産地指定を取得した。仏壇職人は木地職人?彫り職人?金具職人?蒔絵職人?漆塗り職人の部門に分かれており、五職と呼ばれそれぞれの技術を合わせて仏壇が完成する。
本研究では、年々減っている仏壇職人と仏壇は作らないが、その技術を用いたモノづくりをしている職人の想いを記録したい。現在新潟県で仏壇をつくれる技術を持っている職人は極めて少なく「五人しかいない」と聞いた。その中で、仏壇店の跡取りともいえる若い職人たちが、伝統的なモノを作らず新しい事に挑戦し続けるのか、またその事に関して長年仏壇を作り続けている職人はどう考えているのかを見てゆきたい。
文献資料での調査と、代々白根仏壇を作り続けている林仏壇店の店主であり塗師の林芳弘さんと蒔絵師の佐藤裕美さんへの聞き書きを中心に実施した。また、塗りと蒔絵で使用する筆の製造を行っている京都の堤浅吉漆店への聞き書きも行った。