参勤交代における仙台藩と宿場の関係
八島千里
宮城県出身
竹原万雄ゼミ
目 次 はじめに/先行研究/研究方法
参勤交代とは江戸時代の制度で江戸幕府が諸大名に国元と江戸を1年交代で往復させていた。各藩が街道を使い、参勤交代を行う中で仙台藩は参勤交代の際には奥州街道を使い、仙台城から江戸藩邸までの360kmを移動した。そして、参勤交代では宿場が必ず利用されてきた。宿場の視点からの情報や記録を集め、参勤交代における仙台藩と宿場の関係を見いだす。
取り上げた先行研究では、仙台藩における参勤交代や参勤交代においての宿場の動きがまとめられている。これらは幕府や藩視点であり、幕府や藩の文書や記録からの研究である。私は上記の視点も加えながら自治体史などから、宿場や文化人からの視点も取り入れて、研究を行う。
研究方法としては第1に、渡邊洋一『仙台藩の参勤交代 ―仙台から江戸へ360キロ―』(歴研 2016年)に掲載されている情報を活用する。掲載されている史料は『伊達治家記録』などが挙げられる。『伊達治家記録』とは、伊達家で編纂された仙台藩の正史である。本研究では、『伊達治家記録』に掲載された経路や行程等の基本的な事項を改めて確認する。第2は、渡部信夫『みちのく街道史』(河出書房新社 1990年)の掲載されている情報を活用する。掲載されている史料は『伊達治家記録』や『東遊雑記』などが挙げられる。『東遊雑記』とは近世の地理学者である古川古松軒が天明8(1788)年に幕府巡見使に随行し、奥羽から蝦夷地まで視察した際の見聞を綴った紀行の本である。(写真1)は先行研究で挙げた渡邊洋一『仙台藩の参勤交代 ―仙台から江戸へ360キロ―』(歴研 2016年)と渡部信夫『みちのく街道史』(河出書房新社 1990年)の写真である。第3は、宿側の視点として、仙台藩が利用した宿場の自治体史の史料を活用する。(表1)は奥州街道の仙台城から福島までの宿場を挙げたものである。表の中の参勤交代で仙台藩が宿泊した宿場があった市町村の名取市?岩沼市?柴田町?大河原町?蔵王町?白石市?福島市の自治体史から情報を収集し、仙台藩と宿場との関係を分析する。
研究から仙台藩は宿場に救済措置や特典?補助金制などの支援を行う一方で、宿場の秩序を守るための規則などを取り決めていた。しかし、仙台藩は宿場に有益を与えるだけではなく、大きな負担も与えていたことが分かった。つまり、宿場は仙台藩にとっての庇護に入る対象であり、宿場があったから仙台藩は参勤交代を乗り越えられた。仙台藩にとっては、宿場は必要不可欠な存在で堅い信頼関係があったと考える。