ネコと産業の関わり合い-田代島を事例とした関連性の考察-
髙橋光生
宮城県出身
田口洋美ゼミ
本研究では「ネコの島」という名を持つ宮城県牡鹿半島の田代島を研究舞台とし、「ネコが歴史上において産業と関わりを持っていたことから、田代島の猫も同じように産業との強い関わりがあったのではないか」という仮説の元、田代島内における伝承と産業を調査し双方の関連性の考察を行った。
田代島に伝わる伝承と習俗への調査の結果、田代島内において猫神社(図1)が作られる要因ともなった事象が明治から大正の比較的近代に起こった可能性があることがわかった。同時にこの事象が起こる前のネコについて、資料『田代管見録』内では山ネコ伝説が伝承されており、田代島のみならず牡鹿半島小渕浜や隣島の網地島においてもネコに関する伝承が残っている。しかし伝承内容に他の地方の伝承と類似点があることから、後付けされた可能性があると考えている。習俗に関しては田代島には食肉禁忌と犬を島に入れてはいけないという禁忌があり、大泊浜に鎮座する鹿島神社(図2)を中心として伝承されていることがわかった。鹿島神社は島民から深く信仰された神社であり、その神社に伝わる伝承と神社名から鹿島神宮の分社の可能性がある。鹿島神宮は鹿を神の使いと見ており田代島の鹿島神社に伝わる伝説でも鹿が登場していることから、食肉禁忌の要因はここではないかと考える。犬を島に入れてはいけないという禁忌も鹿島様が、犬が嫌いであるためということからきている。
産業に関する調査では、田代島では大謀網(図3)が盛んであり、特に鮪大網が田代島の産業として大きな役割を果たしていたことがわかった。田代島大謀網は中世末あたりに作られたとされ、江戸から明治にかけて20人から30人ほどの組合を組織し、魚の処理や運搬加工などを共同経営していた。漁獲した魚は塩釜、石巻、渡波で上げられたのち売られ、仙台にまで赴いている。値段が釣り合わない場合鮪節に加工する、塩漬けにするなどして売り捌いた。明治末から大正にかけて田代島大謀網は沖合漁に移るものが増えたため従事者が減少し、気仙地方から出稼ぎに来るようになった。
結論として決定的なものとして断言はできないが、ネコと産業に直接的な接点がなかったとしても間接的な関係は存在し、完全に無関係ではないということと、同時に島内における風習の影響や偶発的な結果によりネコの存在が自然と神格へと移行したと考察している。