[優秀賞]
吉田麻鈴|近世東北大名家墓所における五輪塔の型式学的研究ー変遷と地域性ー
福島県出身
北野博司ゼミ
目 次 1. はじめに/2. 中村藩相馬家墓所五輪塔を中心とした変遷/3. 近世東北大名家墓所五輪塔を中心とした変遷/4. 考察/5. おわりに
五輪塔の型式学的研究は資料数の豊富さから中世墓に偏っており、近世五輪塔については各墓所での調査?研究はあるものの、中世墓と比べ地域差が顕著なことから広範囲における総括的な型式学的研究は殆どないといえる。そこで本研究では、型式学的側面から形態?意匠による分析と数値による検討を行い、近世東北大名家墓所における五輪塔の形態変遷と各大名家の個性について探ることを目的とする。
対象墓所は、旧陸奥国?出羽国に治所を構える藩の中から五輪塔を墓標として採用している計11ヶ所を選出し、計85基の五輪塔についてトレース図を用いた分析?検討を行った。本研究では、五輪塔の構成や各輪の形態?装飾、文字形式等に着目した形態?意匠による分析と相関の算出により形態変遷の傾向を探る数値による検討の2点から近世東北大名家墓所五輪塔について迫った。
形態?意匠による分析からは、宝篋印塔との融合が見られるものや装飾的役割を担うもの等性格が大きく異なるものが多々見受けられた。この多種多様な形式から各家の国元における墓所で「墓標」として個性を表している様が見られる。この様相から「家」としての意識が近世五輪塔の形態や意匠として表象化し、大名家毎の個性を表現した五輪塔が造られるに至ったと推測できる。
数値上では特に火輪の形態変遷において変化が見られ、時代が下るにつれ火輪全体として扁平化し、それに伴って軒が薄く、末広になることで軒口が開いていく動きが複数の墓所五輪塔で見られた。時代による推移が見られなかった墓所でも火輪が縦長又は軒が厚いと軒口の開きが小さく、火輪が扁平である又は軒が薄いと軒口の開きが大きいといった関係が見られたため、火輪部の構造上、制作するにあたり高さ指数(部材幅に対する部材高の割合)と軒厚、軒口の開きは相関を持って寸法が取り決められていたのではないかと考えられる。また火輪以外の部材でも、塔高に対する各輪高の割合や各輪同士の高さ指数は、一定の規格や相関を有して変化していることが数値上に表れた。また17C第3四半期?末に集中して変遷画期がみられ、先行研究と照らし合わせると形態の変化だけでなく、墓所全体としての変化がその時期にあったことが伺える。
北野博司 教授 評
吉田麻鈴さんの論文は東北地方の近世大名墓五輪塔について、形態?意匠の時間的変化と大名家ごとの個性を明らかにし、それぞれの歴史的背景について考察したものである。
調査は墓所を管理している寺院、自治体と交渉し、承諾を得たものから1基ずつ実測していった。大名墓は今も祭祀の対象であるため非接触でできるフォトグラメトリーの手法をとった。五輪塔は高さ3~4mもあるので、5mの撮影用ポールを使いながら1基あたり300~400枚の写真を撮影していく。それが100基だから合わせると3~4万枚になる。写真をPCの専用ソフトで3D画像にし、これを編集してトレースする。3D化やオルソ画像はPCがやってくれるとはいえ、1基につき約6時間かかる。現地での詳細観察、撮影?図化作業、寸法の数値分析など、それらに費やした時間だけでも研究の苦労と情熱が想像できる。貴重な歴史遺産を大切に管理し、現地調査で親切にしてもらった住職さんらへの恩返しになればという思いもあったという。
吉田さんは1年次に米沢市林泉寺の米沢藩上杉家墓所に出会い、3年次に半年間、鶴岡市大督寺の庄内藩酒井家墓所の調査に参加した。卒論は大地震のたびに倒壊、復旧を繰り返す故郷の相馬家墓所の研究からスタートした。最終的には東北全域に探求の旅を広げて、大学での学びが一本の線につながる格好となった。
研究成果は全国の大名墓研究に貢献するだけでなく、作成した3Dデータや実測図は文化財保護行政の基礎資料として貴重なものとなった。吉田さんは4月から地元で市職員として働く。文化財保護と地域づくりの担い手として大いに活躍が期待される。