前回、2020年9月14日に第2回の記事を公開してから、なんと3年半が過ぎてしまった。連載の声をかけてくださった(当時)企画広報課の須貝さんからは、学内で行き合うたび、第3回についてのご期待をいただきながら、一向に書くことができなかったのは、自分でつけたタイトルにある「東北」「藝術」の巨大さに、おじけづいてしまったというところが多分にある。
???などと、いかにも言い訳がましくカッコつけて書いてしまったが、しかし、再びこの連載をはじめ直したいと思ったのは、「東北」と「藝術」のことは少し脇においておき、むしろ、同じくタイトルに含まれる「道」について、なかば連想的に書いてみることができるかもしれない、と思ったからだ。
そう、その「道」は、2014年以来、本学が主催して開催しているビエンナーレ(2年に一度の芸術祭)「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」が、今年の9月に本学と蔵王温泉で開催されることと関わっている。私は、山形ビエンナーレ2024で総合キュレーターという役割を担当していて、芸術祭としての全体を検討?設計し、アーティストやクリエイターを招聘する過程で、蔵王温泉を訪れ、歩くということをずいぶん行ってきた。
「歩くということをずいぶん行ってきた」という言い方はとても奇妙で、「歩くということ」は、日々行っている。多くの人がそうだろうと思う。ただ、私の場合、その多くは無意識的?無自覚的であり、特になにも考えないまま行われているようだ。あるいはこう書くとわかりやすいかもしれない。それは、ある場所からある場所への移動の手段としての歩行であり、その過程に目的?意味を見出していない、と。
いっぽう、今回書こうとしていることは、歩くことはただの交通手段ではなく、歩くこと自体に目的?意味が見出せるのではないか?ということ。いや、「意味が見出せるのではないか?」などと疑問形で書くまでもなく、目的や意味すらも超えて、歩くことがいかに楽しく、創造的か、ということ。
山形ビエンナーレ2024の準備をとおして、ひとりで、あるいは複数人で蔵王温泉を歩くたび、ああ、歩くことはなんて楽しいのだろう!と思って、そろそろ1年間が経つ。まったく飽きない。
そういうわけで、これからの「小金沢智の、東北藝術道」は、しばらく、[山形ビエンナーレ2024私的随想録]として、山形ビエンナーレ2024をめぐって歩いたこと、感じたこと、考えたことなどを、できるだけ私的な視点から書いていきたいと思う。
さて、前置きが長くなったが、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2024」のテーマは、「いのちをうたう」。医師である稲葉俊郎先生を芸術監督にお迎えし、「山のかたち、いのちの形」(2020)、「いのちの混沌を越え いのちをつなぐ」(2022)と、「いのち」へと焦点をあてて開催してきた山形ビエンナーレが、温泉という身体への療養効果が期待される場所で催されることは、とても大きな意味を持っている。
山形県山形市蔵王温泉は、同地が「蔵王温泉」と名づけられるようになる前から温泉地としての長い歴史を有していて、その面影を残すように、たとえば、メインストリートのひとつである高湯通りには、こんな碑と看板が訪れる人を迎えている。
「南無阿弥陀仏碑」といって、嘉永2(1850)年のものだといい、看板にはこういった説明が書かれている。
川沿いに建つこの古い石碑は、旧高湯村入口に建立されたもので、村人?旅人の安全を祈願したものです。
「一切衆生平等利益」
当時の面影を残し現在も温泉街と人々の安全を願っております。
「大正8年電燈が灯った頃」という写真や、「高湯温泉のパンフレット絵図」のイラストも載っていて、往時を偲ばせる。そう、現在は蔵王温泉と呼ばれているここは、かつて高湯村であった。地名?呼び名の変遷については、今後この連載のなかでふれることがあると思うが、いまは措く。いまは、この碑の存在から、この土地に積み重なっている歴史を想像するにとどめたい。
また、この碑が建つ場所から目線を右下へと向けると、川が流れている。「酸川」といって、高湯通りに沿って流れる川である。この写真を撮ったときは9月半ばであったが、青々とした樹木の間から湯気がもうもうとたちのぼるさまが美しい。写真ではわからないが温泉特有のにおいもたちこめている。そう、この川は、温泉と山水が混ざっているのである。それが温かい川となって「どんどん」と音を立てて流れているさまから、通称「どんどんびき」と呼ばれているのだということも、看板には書かれていて興味深い。
昼間の高湯通りも気持ちがよいが、旅館やホテルに泊まると、しんと静かな夜中でもこの川の音が聴こえてきて、それがなんとも言えずよい。冬はなかなか大変だけれど(それはそれで趣があるが)、季節によっては、浴衣のまま外に出たりしてみると、昼間以上に、この街全体を湯気がつつんでいるような心地を覚えさせてくれる。
ところで、南無阿弥陀仏碑からはじめてしまったが、この高湯通りを歩いていると、いくつもの碑が建てられていることに気がつく人もいるのではないか。歌人?斎藤茂吉(1882-1953)の歌碑である。医師(精神科医)として働きながら、17冊の歌集をはじめ、歌論、随筆の執筆など近代文学に大きな足跡を残した斎藤茂吉が生まれた山形県南村山郡金瓶村(現?上山市)は、まさしくこの蔵王連峰を望むことのできる土地であった。17,000首を超える茂吉の短歌には、蔵王を詠んだ歌も多く、蔵王温泉では、「蔵王文学のみち 茂吉歌碑めぐり」と題して茂吉の歌碑を一部新たに建立し、茂吉の歌に導かれるようにして街や山をめぐるルートを整備しているのである。これがとても楽しい。
「蔵王文学のみち 茂吉歌碑めぐり」で刻まされている茂吉の歌は、第一歌集『赤光』(1913年)から亡くなったのち刊行された『つきかげ』(1954年)まで、選ばれた時期の幅が広い。歌によっては100年以上前の作品であり、そうでなくても今日から半世紀をへだてている。
私は、この作品と現在との時間のへだたりが面白く、楽しいと思う。南無阿弥陀仏碑が江戸時代の高湯村(現?蔵王温泉)のことを知らせてくれるように、茂吉の歌碑も、建立された時期こそ近年(2016年から2018年)が多いものの、歌が、いつかのこの土地の風景や、人々の感情のようなものを教えてくれる。さらに、茂吉の歌でうたわれた風景を重ねるようにして、現在の私(たち)は、現在の蔵王温泉を見つめることもできる。「あのとき」と「いま」が、歌碑を通して、石に刻まれた歌を通して、出遭う。
そしてその「いま」とは、歌を読む人によって違うのだ。今日かもしれないし、100年後かもしれない。その面白さ。芸術は(とあえていうとするならば)、このへだたりこそ、大切なのではないか。へだたり、言い換えれば、違うこと、遠いことの面白さ。茂吉の目と言葉を通して見つめる、いま、「わたし」「あなた」の風景。それはいったい、どういうものだろうか? 遠いだろうか? 近いだろうか? その遠近に、「わたし」や「あなた」の存在を見つけることができるかもしれない。
山形ビエンナーレ2024の蔵王温泉での構想は、まず、そういうところからはじまった、と言っていいと思う。歌碑に導かれて、出会った風景と人々、アーティストやクリエイターたちとの随想を、時系列は気にせずに、これから不定期でつづっていきたい。
(文?写真:小金沢智)
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東北藝術道のはじまり|連載?小金沢智の、東北藝術道 #01
東山魁夷の《道》を訪ねて|連載?小金沢智の、東北藝術道 #02
小金沢 智(こがねざわ?さとし)
東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。
キュレーター。1982年、群馬県生まれ。2008年、明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。専門は日本近現代美術史、キュレーション。世田谷美術館(2010-2015)、太田市美術館?図書館(2015-2020)の学芸員を経て現職。
「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションによって、表現の生まれる土地や時代を展覧会という場を通して視覚化することを試みている。
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