今ほど娯楽が多くなかった時代、小さいころの思い出といえば、家族で行った動物園や水族館、遊園地が思い浮かぶ。私にとってはもう50年以上も前のことなので全体像はぼやけているが、今でも部分的に切り取られたワンシーンを思い起こすことができる。
私が育った石川県加賀市には、山代ヘルスセンター(昭和37年開業)というのがあった。
大きな植物園にミニ遊園地、温泉?大衆演劇場があった。水族館は三国港の松島水族館(福井県坂井市、昭和34年開業)が近かった。ちょっと足を延ばして金沢ヘルスセンター(昭和33年開業、動物園、水族館、遊園地等がある総合娯楽施設)にも行ったことがある。子供心に前日からワクワクしたものだ。ちなみに「ヘルスセンター」は保養?レクリエーション施設のある娯楽場のことをいうが、「ヘルス」が風俗のニュアンスを感じさせるせいか、いつの間にか消えていった。家族が一日楽しむ総合レジャーランドやテーマパークのはしりみたいなものだ。
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10月24日、文化財石垣保存技術協議会(文石協)の仕事で姫路に行った。三ノ丸大手の桜門を入ると正面に「世界遺産?姫路城」の石碑があり、その左手に白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう)と形容される国宝姫路城天守がそびえ立つ。
観光客は左に折れて入場ゲートのある菱ノ門を目指す。私は右に折れ、姫路公園を通り抜けた先にある文石協の事務局、日本城郭研究センターを目指す。
桜門を入ると天守閣と同じぐらい目立つのが右手に見える「HIMEJI CITY ZOO 姫路市立動物園」の青い看板だ。実はこの動物園の中にもお城の堀や石垣がたくさんあって、以前から見たいと思っていた。今回は少し時間があったので初めて敷地に足を踏み入れてみた。
世界遺産姫路城、特別史跡姫路城跡に「動物園」とは奇異に思われるかもしれないが、実はお城と動物園は親和性が高い。かつて多くの城跡に動物園があった。松江城跡、丸亀城跡、津山城跡、鳥取城跡、浜松城跡など。しかし、小田原城跡の動物園は近年閉園が決まり、存続しているのはここと和歌山城跡、高岡城跡ぐらいのものだろう。
名古屋城跡の本丸の堀には戦後シカが放たれ、最大50頭余りに増えたこともあるという。動物園とはいいがたいが、観光客らの衆目を集めていた。石垣調査の時には不法侵入してくる我々にいつも愛くるしい眼を向けていたものだが、現在はなぜか親子2頭だけになってしまった。
徳川家康は慶長15年(1610)、西日本の大名たちに号令して名古屋城の石垣普請を行った。大名たちは石高に応じて工事を分担し、自ら用意した石に目印となる「刻印」を打った。刻印を調べることによって各大名の石垣構築技術を比較することができる。
日本は敗戦後、荒廃した都市の復興をお城を中心に進めていった。近代都市の多くが近世城下町から発展しており、その中心部には公共用地としての城跡があり、都市住民のアイデンティティにもなっていたからである。そこでは「こども博覧会」などのイベントが開催され、遊園地や動物園が設けられた。
昭和24年にはタイとインドから上野に平和の使者として象が贈られた。インドゾウの「インディラ」は翌年、移動動物園で北海道、東北を巡行し、各地に明るい話題を振りまいた。昭和25年にはタイから小田原城跡に「梅子」が、浜松城跡に「浜子」が、26年には姫路城跡に「姫子」がやってきて人気者となった。それぞれの象は、日本の戦後復興史、動物園史、家族の記憶に数々の物語を刻んでいる。広島城跡、名古屋城跡、熊本城跡など、昭和30年代に着工されていく復興天守の運動とも軌を一にしていた。このあたりの事情は木下直之『わたしの城下町』(ちくま学術文庫)に詳しい。
姫路市立動物園は昭和26年、サンフランシスコ講和条約を記念して開園した。わずか3haの小規模園にすぎないが、都市の中心部、姫路城内にあってアクセスがいい。近接して駐車場があり、遊園地を併設、広場で弁当を広げることもできるので、親子連れで一日楽しむには格好の場所である。
そして、何といっても入園料が安い。大人210円、子供(中学生まで)30円、無料特典も少なくない。動物は101種、407個体が種ごとに分類展示されている。遊園地にはレトロな飛行機観覧車、ゴンドラ式観覧車、ティーカップなど、小さな子供でも楽しめる遊具が目白押し。テレビ番組「ナニコレ珍百景」にも取り上げられた。おじさんたちにとっても胸が熱くなる遊園地である。
都市にあって親子三代が楽しめる動物園?遊園地として人気を博し、平成29年度は50万人の入場者があったという。50万人といえば、お城愛好家団体「攻城団」が調べる全国のお城入場者数ランキング(有料、平成30年)で第10位の国宝?犬山城に迫る数字といえる。
しかし、かねてから大きく二つの問題を抱えていた。
一つは、特別史跡姫路城跡の遺産を保存活用するために、往時の姿が体感できる歴史空間に整備していくという施策と動物園の存在の折り合い。
世界遺産の「真正性(本物性)」という点からみても動物園は撤去が望ましい。
二つは動物の展示方法や飼育施設が古く、動物福祉の観点から施設改修や環境整備が求められることである。
珍しい動物を見せ物のように展示した時代から、現代は群れとしての飼育や生態環境を含めた行動展示という考え方に変化してきた。それに応えようとすると施設整備が求められ、一点目の問題とバッティングする。
日本最北の動物園-北海道旭川市の旭山動物園は、平成9年頃から動物の自然な生態が見られる「行動展示」で注目を集めた。動物園はいま、要、不要といった存在意義を問う議論から、動物にとってよりよい環境とは、生物多様性保全、種の保存、自然環境教育など、自然と人間の持続的な関係が喫緊の課題となるなかで関心を集めている。
少し長くなるが、旭山動物園の理念を引用しよう。
“動物園で、ありのままの動物たちの生活や行動、しぐさの中に「凄さ、美しさ、尊さ」を見つけ、「たくさんの命あふれる空間の居心地の良さ」を感じてほしい。家畜?ペット種との触れ合いを通じて「命の温もり、命の尊さ」を感じてほしい。そして、野生動物の保護や環境問題を考えるとき、動物たちは私たちと対等な生き物なんだと思うきっかけになれる、そのような動物園でありたいと思っています。”
(旭山動物園のホームページ より引用)
姫路市立動物園は、昭和61年に「動物園の移転を図る」という基本方針が打ち出されて以来、史跡整備の進捗とのすり合わせ、動物園のあり方をめぐる長い議論の過程を経て、万博体育投注_万博体育彩票-下载app登录2年度、ようやく具体的な移転スケジュールがまとまろうとしている。現在の動物園の閉園は早くても万博体育投注_万博体育彩票-下载app登录10年度になりそうだ。動物たちにとっては厳しいスケジュールかもしれないが、現地に立って史跡保護と動物福祉、都市の憩い空間のあり方について思いをめぐらせてみてはどうだろう。
世界遺産姫路城に行くなら、姫路市立動物園に立ち寄ることをお勧めする。
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姫路の初代「姫子」は平成6年1月に老衰のため50歳で亡くなった。跡を継いだ2代目の「姫子」は同じ年の10月に17歳でここにやってきて、長く子供たちのアイドルだった。
姫路市立動物園「ゾウの姫子の特集ページ」
その「姫子」、2年前に足の病気にかかり、治療を続けてきたものの、この6月ごろから悪化し、私が初めて園を訪れた10月24日、午前10時47分、42年の生涯を閉じた。いつもは素通りしていた私がなんとなく引き留められ、まさに動物園の入口を入ろうとした時刻だった。「たまには寄ってきなさい。」そんな声が聞こえたのかもしれない。冥福を祈りたい。(続く)
(文?写真:北野博司)
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北野博司(きたの?ひろし)
富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。
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専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存?活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。
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