歴史遺産学科の卒業生、渡部裕司(わたなべ?ゆうじ)さんは、山形県酒田市の教育委員会で埋蔵文化財の発掘調査を主な仕事として活躍されています。2020年に国史跡指定が答申された山居倉庫の調査報告書作成にも尽力。文化財を保護し地域に貢献している渡部さんに、文化財の専門職員とはどういうものなのか、学生時代の経験も含めて、詳しくお聞きしました。
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時代に埋もれた、地域の歴史を明らかにしたい
――卒業後はどのような経歴で現在の仕事に就かれたのでしょうか?
渡部:卒業後は宮城県の大崎市教育委員会で2年、その後は山形県埋蔵文化財センターで4年、東京にある民間の発掘会社?国際文化財 というところに7年勤務していました。国際文化財は全国に支社があり、北は仙台、南は鹿児島の喜界島まで発掘調査に行くなど、場所を選ばずにどこででも仕事をしていました。
その後、現在の仕事に就いて2年目になります。酒田市の職員なので、酒田市の埋蔵文化財に関する調査や報告書の作成などが主な仕事です。
――全国でいろいろな遺跡に触れる仕事から、酒田という一つのエリアに根付くというのはどういう心境の変化だったのでしょうか?
渡部:私は山形県鶴岡市の出身で、最初に就職したのは宮城県。東北から出たことがなく、20代のうちに全国を見てみたいという思いがありました。そこで国際文化財に入社したわけですが、先ほどもお話しした通り、いろいろな地域に入って広く浅くやっていたので、もっと長い時間をかけて一つの場所を深く知りたいと思うようになりました。酒田市はほぼ地元なので、地元の歴史を明らかにする仕事ができるのであれば、酒田市で働くというのは非常にいい選択肢だと思いました。
全国各地で仕事しているなかで、各自治体から「発掘調査員として働かないか」と誘っていただくこともありました。ただ、縁もゆかりもない場所で働くよりは、親戚や知り合いがいる地域で働く方がいいなと思いました。特に自治体の職員なら、地縁がある方がいいのではないかと考えたんです。
――現在はどういったことを手がけていますか?
渡部:発掘調査の仕事がメインになりますが、社会教育文化課に所属しているので、民俗芸能や講演会の手伝いもしています。あと、この辺でカモシカの死体が見つかると、死体処理などもやります。カモシカは国の天然記念物なので、文化財係の管轄になるんですよ。
ちょうど今やっているのは城輪柵跡(きのわのさくあと)遺跡 の遺物の整理です。この遺跡の発掘調査は、20年前以上に行われましたが、予算などの関係で、長年きちんとした報告書が作成されずにいたものです。出土品の量が非常に多いので、少しずつ整理作業を進めています。
――陶器のかけらなどが多いですね。これらからどんなことが分かるのでしょうか?
渡部:城輪柵跡遺跡は、国の史跡に指定されている平安時代の遺跡です。出羽国の国府の所在地とも言われていて、他の遺跡からはあまり出土しないものが出土している重要な遺跡なんです。
例えば、素焼きで無釉(むゆう)のものは日本中で出土しているので、この辺りで焼かれたものだと思われます。土師器(はじき)や須恵器(すえき)といわれる焼き物ですね。対して釉薬が塗られているものはとても特殊で、この辺りでは作れません。日本で一番最初に生産されたのは平安時代で、愛知県や滋賀県、京都府で、朝廷に納めるために焼かれていました。窯跡も調査されているので、大体どこのものかが分かりますが、おそらく一度京都に納められたものが山形に持ち込まれたのだと思います。
平安時代は律令制の時代なので、中央から支配者層の貴族がこちらの国府に派遣されてきたのでしょう。貴族は庶民が持たないようなものを持っていて、京都の遺跡からよく出土しているのですが、ここでも同じものが出ています。非常に小さいかけらからそのようなことが分かります。
――城輪柵跡遺跡は、支配者層が住み続けた場所なんですか?
渡部:城輪柵跡遺跡にいつ頃の遺物があるかというと、大体、9?10世紀の物だけなんですね。つまり、中央から酒田のこの辺りに貴族が来ていたのは200年にも満たない、百数十年間だけ、ということです。文献史料で調べることもできますが、本当のことが書いてあるとは限りません。遺物は、確実に産地が判明しますし、必ず人が持ってきているので当時のことを知る手がかりになります。
――この地域の歴史を知る上で重要な仕事なんですね。この陶器はどこで焼かれたものなのかなどは、見ればすぐに分かるのですか?
渡部:遺跡から出土する陶磁器を研究している人は多くいるので、資料と照合することができます。現地に行ったり、または現地で調査した人たちと一緒に見て、これは愛知産、これは京都産だというふうに特定していったりもします。大阪大学の先生と一緒に研究をしているので、教えてもらいながら進めている部分もあります。
――実際はいろいろな研究者とつながっているんですね
渡部:役所内というよりは、他の自治体の職員、大学の先生、研究員など、横のつながりがとても重要なんです。自分の知識だけでありとあらゆる時代の遺物を網羅するのはほぼ不可能なので。仕事とは別に、個人研究という形で研究会に参加し、そこで得た知識を仕事にフィードバックするようにもしています。
発掘調査のアルバイトを経験し、文化財の専門職員へ
――考古学を志したのはいつ頃からですか?
渡部:大学に入ってからですね。大学に入る前は、考古学というより単純に歴史や文化財の勉強したいと思っていました。高校3年生のときにオープンキャンパスに参加して、先生方のお話をいろいろ聞いて、ここなら自分がやりたいことができるかなと思い、受験しました。歴史を学べる大学は他にもありますが、文学部や人文学部が多いんですよね。芸工大はそうではなかったので、少し違うアプローチができるんじゃないかと考えました。
――どんな万博体育投注_万博体育彩票-下载app登录を過ごされましたか?
渡部:学生の時は、ほとんど発掘現場でアルバイトをしていました。県の埋蔵文化財センターが山形市嶋地区の調査をしていた時期で、自分も2年次、3年次に作業員として参加したんです。仕事内容は、今の仕事とほとんど変わらないです。5月くらいから12月の初めくらいまで発掘調査をして、その後は掘ったものを洗って泥を落とし、分類して図面を書き、最終的に報告書を作成するという流れです。
最初は、コンビニとか居酒屋のアルバイトと同じような感覚で、お金をもらって勉強もできるならいいかと思って始めたのですが、一緒に働く人たちの文化財の仕事に従事している姿を見て刺激を受けました。大学の先輩にも、アルバイトがきっかけでそのまま就職した人もいたので、将来を考えるきっかけになりましたね。学生時代に実際に現場の仕事を体験して、見本となる先輩の姿が見られたのは良かったです。
――歴史遺産学科では当時、山形県高畠町の遺跡発掘調査を行っていたと思いますが、参加されましたか?
渡部:高畠町の調査は夏休みに行われるので、夏休みはそちらへ。それ以外の季節には、発掘現場のアルバイトをできるだけ入れていました。授業の履修の仕方も工夫して、朝から夕方まで授業を詰め込んだ次の日は、授業を入れず現場に行けるようにしたり。ですから、私はギリギリ卒業できた感じで、一つでも単位を落としたら卒業できないくらいでした(笑)。
――渡部さんのような学生は珍しかったのでは?
渡部:自分より上の世代にはそういう人が結構いて、「学生の頃から現場に出ていないと。卒業してからやるんじゃ遅い」みたいな感覚を持っていました。自分が最後の世代なんじゃないかと思います。発掘調査の現場自体がなくなってきていますし、地元の作業員さんだけで手が足りているので学生は呼ばれなくなったとも聞いています。私が学生の時は人手がとても足りなくて、「来れるやつは来い!」という感じでしたが、今は行きたくても行けない状況なのかもしれません。
――歴史遺産学科の北野教授や青野准教授は、自治体の職員から研究職に就かれていますが、一般的なことなのですか?
渡部:考古学の分野は特にそういう人が多いですね。歴史分野だと、大学の文学部などから大学院に進んで研究員になり、また大学に戻って研究職に就くことが多いです。一方の考古学は、現場に出て実際に発掘しないと一人前とは言われません。そういう意味で、発掘に数多く携われる自治体で経験を積み、周囲から認められれば、大学で教えられるくらいのポジションになります。
――ご自身のキャリアとしてはいかがですか?
渡部:こちらの職員になってまだ2年目なので、今は全く考えていないです。北野先生も最初から教えることを目指していたとは思えませんし。例えば、調査のなかで専門的に調べていくと、この時代のこれに関しては自分が一番詳しいんじゃないかと思えるようになります。自分は誰よりも勉強したと。そういう自信が持てれば、大学で教えられるようになるのでしょうけど、数年でなれるものではないし、なれるかどうかも分からないですからね。
――渡部さんは、酒田市の山居倉庫の報告書をまとめられたそうですね
渡部:はい。山居倉庫は明治時代の建物で、今も現役で使われているものです。これを文化財として、国の史跡に登録しようと酒田市では考えており、そのための調査報告書をまとめました。建造から120年が経過した今でも、全国に類を見ないほどきれいに残っている建物ですが、史跡に認定されていないと、ある日突然解体されても現行の法律では規制できません。史跡として登録し、市民、県民のために残そうというものです。正式決定はまだ先ですが、史跡登録は間違いないという状況です。
――とても意義深い仕事です。最後に、これから歴史を勉強したい方へメッセージをお願いします
渡部:とにかく、好きなことをできるだけ長く続けること。歴史というのは非常にジャンルが多く、学ぶこともとても多いので、とにかく長い時間をかけて勉強するんだという意識を持って、スタートした方がいいです。一つの事柄からいくつものことを学び取るような、広い視野を持つことが歴史を学ぶ上では必要かなと思います。
ちなみに、文化財の専門職員になると、学生時代の10倍くらい勉強しないとやっていけません。例えば、私は古代の発掘をずっとやってきましたが、山居倉庫は現役の施設で、近代の遺跡でもないわけです。そこでいろいろな文献を読んで、知らなかった知識を得るための努力をしました。試験など答えのある勉強ではなくて、答えがあるのかどうか分からない勉強です。これをもうずっと続けないといけない。そうした長い目で歴史を学んでもらいたいですね。
社会人になると、分からないことや今までやったことない仕事に直面することも多いです。どうすれば分かるか、どう解決するか、その手段は歴史遺産学科で身に付けることができると思いますよ。
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歴史遺産学科では、実際に地域に出て学ぶことで得られる発想や思考を大事にし、地域に役立つ実学的な研究を推奨しています。渡部さんはまさしく、そのように経験を積み、学びを深めた一人なのでした。
「地域に専門職員がいないと、史跡指定されてもきちんと管理されない可能性がある」と渡部さんは言います。文化財の専門職員がいるからこそ知ることのできる、守ることのできる地域の歴史があり、それが地域への愛着や誇りを醸成していくのです。渡部さんは重要な役割を担っているのだと感じました。
(撮影:瀬野広美 取材:上林晃子、企画広報課?須貝)
東北芸術工科大学 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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