ミラーレイチェル智恵(ミラー?レイチェル?チエ)さんは、映像学科を卒業後、映像制作会社「コトリフィルム」の島田大介(しまだ?だいすけ)氏に師事して経験を積み、2017年にあいみょんのミュージックビデオを発表。現在はフリーランスの映像作家として、映像作品のディレクションや編集を数多く手掛けています。映像作家のお仕事のこと、映像表現のこれから、芸工大で学んだことなどをお聞きするため、都内にあるミラーさんのご自宅を訪ねました。
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人と場所をつなぐ、映像表現の未来を探る
――最近手掛けられた作品で、印象的だったものを教えてください
最近の仕事では、RADWIMPS の『猫じゃらし』のミュージックビデオですね。
最初の緊急事態宣言が出された2020年3月にいただいたお仕事で、撮影現場にセットを組んで撮影しようと思っていたのですが、感染リスクが高まる可能性があるので一旦ストップすることになったんです。でも一度始めたことを止めるのが嫌だったので、人が集まらずに撮れる方法を考えたり、カメラマンや作家の皆さんから提供いただいた素材をドッキングしたり。CGを制作するスタッフ の方にもお世話になりながらなんとか仕上げることができました。
あの状況下でも、こういうことができるんだという経験ができて、気持ちのいい仕事ができたという印象が残っています。
あと、NHK北海道の開局50周年記念ドラマ『永遠のニシパ』のテレビ広告用のCM制作も面白かったです。嵐の松本潤(まつもと?じゅん)さんが主演で、私の出身地でもある北海道を舞台にしたドラマなのですが、担当の方が私の作品を好きでいてくれたらしく、その時は「こんなにうれしいことがあるんだ!」という思いでお引き受けした記憶があります。
この作品は、視聴者の方が投稿してくれた映像を編集して1本の作品にする仕事でした。音楽も自由に付けていいということだったので、私の好きなバンドに依頼しました。厚くサポートされた中で自由に制作できる状況はなかなか少ないので、とてもやりがいがありました。北海道だけで放送されたCMでしたが、それを見た祖母が泣いて喜んでくれたことも、とてもうれしかったです。
――映像制作だけではなく、幅のあるお仕事をされていますね
そうですね。最近は、自分の興味が広がっている感覚があります。プロモーションビデオやミュージックビデオを作るだけの人にはなりたくないという思いがあるので、RADWIMPSを手掛けている時も、ビデオを制作したということより、他の人に撮ってもらったり、それらの映像をつなぐことの方が私にとって大事だったと思います。
今はいろいろなミュージックビデオがあって、かっこよく見映えがする素敵な映像を撮られる方がたくさんいます。でも私自身は、流行していないものが好きだったり、流行に特化した人にはなれないという自覚があって、東京のトレンドからは距離を置いているというか。
――東京での経験を糧に、次の段階に入ろうとしているんですね
東京にいないと映像の仕事はできないかもしれないという不安もありますが、一方で、東京という場所にこだわっているうちに一生が終わってしまうかもとも思います。だからといって東京のものを全て捨てるのではなく、人のつながりを大事にしながら、一歩外に出てみたいと考えています。それでまずは運転免許の教習所に通い始めました(笑)。
作ることが好きなので、映像でも絵でも料理でも、何かを作ることができれば心地良く生きていけるので、東京にこだわる必要はないと思っています。このコロナ禍でいろいろ考える時間を得て、さらにそう思うようになりました。
例えば先日も、Zoomで打ち合わせをしながら、台湾と日本のバンドが共演したビデオ作品を作っていました。撮影現場には必ず監督がいなくてはならないという先入観を捨てて、今回は別の方法で探りたいと思っています。私自身、撮影現場があまり得意じゃないということもありますが、撮影は得意な人に委ねて、その間をつなぐ編集に徹しようかと。
――レイチェルさんご自身の映像制作のスタイルが、これから変わっていくということですね
変わっていくし、変えていきたいんだと思います。自分にしかできないことを探すというより、「こっちの方が好きだな」と思うことを実際にやりながら選んでいく感じです。映像の現場は男性が多く業界自体がタフなので、根を詰めた方法以外の可能性を伝えていくことで、映像業界から離れる人を少なくしたいという思いがあります。まだ始めたばかりですが、新しい方法で映像を作りたいです。
「これをやりたい!」という気持ちで、前へ
――大学卒業後、すぐに上京されたのはどういった経緯からだったのでしょう?
私は卒業間際になっても就職活動を一切していなかったので、卒業制作が終わった時点でも、東京にいた先輩に誘われて、東京に住むことだけが決まっているという状態でした。東京で働くなら、インターンでお世話になった制作会社「コトリフィルム」の代表の島田大介さんの下でアシスタントをしてみたいと思い、「お世話になっていいですか?」とだめもとで連絡をしたら、「いいよ」みたいな感じで弟子入りを許されて、東京での生活が始まっていきました。
――島田さんは、レイチェルさんにとってどんな存在だったんですか?
島田さんのことを知ったのは中学2、3年生の頃です。当時、「MTV」や「スペースシャワーTV」をよく見ていて、いいなと思う映像が大体島田さんの作品だったんです。それ以来、彼の作品はずっと見ていました。
ご縁があり、インターンに行かせていだいたのですが、当時は技術的なことが何もできなかったので、撮影現場で荷物を持ったり参考資料を用意したりする仕事でした。
大学卒業後のアシスタント時代は、私が苦手としてきた編集ソフトを駆使しなくてはならない状況になったのですが、分からなくても教えてくださいとは言えないので、YouTubeを観て勉強して、また仕事に行くということを繰り返しながら2年半を過ごしました。唯一の楽しみは、コーヒーが大好きな島田さんに、仕事の合間に喫茶店に連れて行ってもらうことでした(笑)。
――学生時代に苦手だった編集ソフトを卒業後に使いこなせるようになったんですね
もう、私にとっては革命ですよね(笑)。学生時代に勉強を避けていたことを後悔したこともありました。
でもよくよく考えてみると、CGやAfter Effects※ でギミックをいっぱい入れた編集ができる同級生って周りにたくさんいたんです。じゃあ、自分がそうした友人たち以上にやってきたことは何だろうと考えると、それは「映画をいっぱい観てること」と「探ること」だったんです。だからそれを突き詰めました。その軸があったから、YouTubeで勉強した編集の学びも自分の力にできたのだと思います。
※After Effects:Adobe社の動画編集ソフト。イラスト等に動きを加えるモーショングラフィックスや、映像に炎や雷などの効果を加えるビジュアルエフェクトの作成、動画編集後のエフェクト処理などに使われる。技術は、本当に必要になったらちゃんと自分に付いてくるものだと思います。だからとりあえず動いて、「これをやりたい」と思えるものに当たり続けたアシスタント時代でした。とにかくずっと動いていたので、その反動で最近はのんびりしたくなっているんだと思うんですけどね。そうした動き方は、無意識のうちに大学時代からやっていたんだと思います。
黄金の4年間、と言えるほど充実した学生時代
――映像学科を選んだ理由は何だったのでしょうか?
東京の美大を受けることも考えていましたが、美術というより映画や映像にずっと興味があったので、映像学科があって、当時の学科長が映画監督の根岸吉太郎(ねぎし?きちたろう)さんだった芸工大を選びました。現場のことをたくさん聞けると思ったんですね。あとは、直感です。高校2年生の終わりに芸工大のオープンキャンパスに参加したんですが、すごく気持ちが良くてピンとくる場所だったので決めました。東京みたいに情報があふれていなくて、自分から探ってきちんと勉強ができる楽しい場所だと思いました。
――学生時代はどのようなことを学びましたか?
映像学科教授の岩井天志(いわい?てんし)先生のアニメーションのゼミにいたんですけど、映画やミュージックビデオを観るのが好きだったので、私だけハンディカムで実写を撮ったりしていました。私は今、「自分の軸で暮らしていけたらいいな」と、すごく思っているのですが、それを学生の時から私に言ってくれていたのが岩井先生でした。島田さんのアシスタントになる時も、「人の下に付くってことは自分の意思を消さなきゃいけないことだから、それでも本当にいいんだったらやってみな」と。岩井先生と話すことで、自己を大事に保ちながら作らないと、自分も作品も迷子になってしまうんだって学びました。
あと、私は話すのが得意じゃなくて、自分が好きな物の説明でも口籠もるタイプなのですが、岩井先生と話す中で、「好きで見てきたものを軸に作品をつくる」というやり方がどんどん見えてきました。
――芸工大はレイチェルさんにとってどんな場所ですか?
たくさんの映画を観たり、実験映像のゼミに潜り込んだり、学科のみんなとふざけて作品を作ったりしていましたが、今思うと、なぜあんなに課題に時間をかけていたのか分からないくらい、みんなで朝まで必死に考えたりした場所です。何かを作ることが、難しくて楽しいという経験をみんなで共有しました。
どの大学にもそれぞれの良さがあるのでしょうけど、「芸工大は山形あっての大学」という感じがしていて、山形で暮らしたこと自体が私にとっては宝物なんです。28年の人生の中で、黄金の4年間。すごく楽しかったです。
卒業してからも紅葉を見にいったり、山形にはよく出かけていますが、芸工大に寄る度に「いつでも帰ってきていいんだ」という気持ちになれます。これって、他の大学ではなかなかないんじゃないでしょうか。自慢したい部分ですね。「芸工大いいでしょ」みたいな気持ちになります。
――そんな風に母校を思えるのは素敵ですね。最後に、受験生にメッセージを
周りを気にせず、好きなことを突き詰めてください。私は高校時代にとにかく映画をたくさん観て3年間を過ごしました。周りの友達は遊んだり、逆に受験勉強に徹する子もいましたが、周りを気にせず熱中できそうなものがあったら、それを大事にするのがいいと思います。
絵が上手だったり、早くから何かができる人を羨ましく思うこともありますが、時期の早い遅いはあまり関係がないです。私は大学で見えてきたことが多く、それが自分の支えになっています。そして、ただ「映像が好き」ということだけに満足できず、「自分のものにしよう」としたのは卒業してから。何か一つ好きなものがある人を「最高!」と思えるようになったのは、芸工大でいろいろな人に出会えたことが大きなきっかけになっていると思います。
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仕事をする上で大事にしていることは? という質問に「人といっぱい話すことです」と答えてくれたレイチェルさん。強い言葉を選ばず、自分の考えをしっかりと伝えようとしてくれる姿勢に、制作に取り組む時の真摯さを垣間見たような気がしました。
映像学科で出会った先生や、先輩、同級生、そして山形という土地から得た、学びやインスピレーションは彼女の中に蓄積され、新たな表現を生み出す土壌となっています。今後の活躍がますます楽しみです。
(撮影:永峰拓也 取材:上林晃子、企画広報課?須貝)
東北芸術工科大学 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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