文化財保存修復学科で西洋絵画修復を専攻していた齊藤実花(さいとう?みか)さん。現在は神奈川県葉山町にある森絵画保存修復工房の修復士として、油彩画をメインに紙や金属、また現代アートにあるような複雑な素材まで、多岐に渡り修復を手掛けています。そこで、修復とは一体どのようなお仕事なのか、そしてなぜこの世界に興味を持ったのかを、大学時代の思い出も含めてお聞きしました。
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手で触れてみて、初めて分かる作品の「今」
森絵画保存修復工房の代表を務めるのは、齊藤さんの大学時代の恩師でもある森直義(もり?なおよし)氏。2009年から6年間、文化財保存修復学科の教授として学生たちに指導を行ってきました。教え子の中の1人だった齊藤さんは、「卒業後も森先生の下で勉強を続けたい」と熱望。その思いが受け入れられ、工房の一員となりました。
――はじめに齊藤さんのお仕事内容について教えてください
齊藤:基本的には、工房でお預かりした作品を調査し、森さんや他のスタッフと一緒に協議して、修復方針を決め、それに従って修復してお返しするということをやっています。
また、修復はせず事前の調査だけ行うこともあって、例えば作家の技法や、その作品に使われている材料を調査してほしいといった依頼です。工房では、基本的な光学調査を行って、場合によっては研究機関と一緒に調査しています。
いつもアトリエにいるわけではなく、展覧会の仕事で出張していることも多いです。東京以外にも、地方巡回する国際展などに赴いて、海外から借りた作品などを所蔵館の方と一緒に点検し、レポートを作成しています。大体、展覧会の会期前と会期後に4日くらいかけて行います。イメージとしてはレンタカーを借りる時のように「ここにキズがありますよ」とか「こういうところに気を付けてください」といった感じで情報を共有します。
――そうなると、地方に行く機会も多いのでは?
齊藤:そうですね。展覧会は会期がどこも同じような季節に動くので、撤収の時期が重なったり、始まりの時期が重なったりということがよくあります。少し前にも、ある美術館で展覧会の撤収作業をして、その2日後に、次の開催地へ作品を移動して、そこで4日間かけて展示をして、という流れの時がありました。そのため、地方に行くと大体1~2週間くらいは出かけたままになることもあります。
――その中で修復のお仕事も、となるととても忙しいのでは?
齊藤:工房での仕事は、森さんを中心に、他のスタッフと情報を共有し、話し合いの中で進めますので、私が不在の間は、他のスタッフが作業を引き継いだりしながら、スケジュール調整をして、無理のないように作業を進めています。
――ちなみに今はどのような作品の修復を手掛けていらっしゃるんですか?
齊藤:今は、2007年に99歳で亡くなった湯布院の画家?東勝吉(ひがし?かつきち)さんの作品を修復しています。東さんは、とても変わった経歴の持ち主で、ずっと木こりの仕事をしていて、老人ホームに入って83歳になってから絵を描き始めた人なんです。でも、いろんな人から評価されるようになって、地元の湯布院で大切に保管されてきました。
今年、東京都美術館の展覧会でも取り上げられることになり、東さんの作品保存のため、私たちにもお手伝いできる機会が与えられました。そんな東さんの特別な魅力を、作品の細部の観察を通して感じられるのがうれしいですね。
人生を動かすきっかけになった、モネの作品との出会い
――これまでのお仕事の中で、特に印象に残っているものを教えてください
齊藤: 2018年から2019年に国立西洋美術館で行った、モネの大作「睡蓮」の修復ですね。フランス政府から返還を受けた旧松方コレクションの作品なのですが、2016年にルーヴル美術館で発見されたものです。長期間、細い紙筒に巻かれて保管されていたもので、第二次世界大戦中、フランスの疎開先での保管上の悪条件から、絵の上部が失われて、残っている画面もひどいダメージを受けたのではと考えられている作品です。2019年6月の「松方コレクション展」での展示に向けて、修復プロジェクトが立ち上がりました。工房と西洋美術館の研究員の方たちとで協議を重ね、当時日本に在住していたドイツ人修復士の方とも一緒に修復作業に取り組めました。大作でしたし、とても稀なケースだったので、そこでみんなと経験した豊かな時間は生涯忘れられないものになりました。これからも間違いなく私の人生の中にずっと残っていく仕事だと思います。
そもそも、私が修復士いう職業を知ったのはモネの「睡蓮」がきっかけだったんです。高校2年生の時に読んだ「美術手帖」に、岩井希久子(いわい?きくこ)さんという方が地中美術館にあるモネの作品を修復したというコラムが載っていて、そこで修復士という仕事があることを知り興味を持ちました。同時に、「なぜ西洋美術なのに日本人女性が直したんだろう?」とか「どうやったら修復の仕事ができるんだろう?」という疑問が湧いてきて、いろいろ調べていく中で、森先生の著書である『修復からのメッセージ―修復がわかれば美術はもっとおもしろい』(2003年 ポーラ文化研究所)という本に辿り着きました。そして直接会いに行ってお話ししたことで芸工大を目指す流れになり、実際に森先生の下で4年間学んで今があるので、ストーリーとしては森先生ありきで一貫していると言えます。
――森先生との出会いが、芸工大の文化財保存修復学科に入るきっかけになったんですね
齊藤:そうなんです。でもそれだけじゃなくて、芸工大のカリキュラムそのものもすごく魅力的だったんですよね。私は作品に触れることにとても興味を持っていたので、4年次に1年間かけて研究対象となるものを調査し修復する実習があることを知り、「そのチャンスが欲しい!」と思ったことも芸工大に入る大きな理由になりました。
――その後、実際に芸工大で学んでみていかがでしたか?
齊藤:やっぱり4年目の学びが一番印象に残っていますね。私は山形県大石田町にある歴史民俗資料館から、金山平三(かなやま?へいぞう)という明治生まれの画家の作品をお預かりして修復しました。その作品は大石田の雪の風景を描いた油彩画で、その画家が空襲のため大石田に疎開していた1945年ころに描かれたものでした。画家のことを考える時というのは、制作していた土地や年代がとても大きな要因となります。そのため、どういう場所から描いていたのか、そして地域の人とどういう結び付きを持ち、誰がどういうところで作品を保管してきたのか、といったことを地元の方に聞き、実際に足を運んだりしました。それから山や畑の絵が多かったので、その絵と同じように山が見える場所を探してみたりもしました。
そういう学びはその画家と同じ山形にいなければできなかったことですし、一つの絵にじっくり向き合いながら時代背景や制作方法について考える研究の時間というのは、芸工大だからこそ得られたものだと思っています。今考えてもすごく豊かな1年間でしたね。
――修復について学ぶことを思いきり楽しめたわけですね
齊藤:本当に楽しかったです。芸工大にある「文化財保存修復研究センター」には専門の機械や分析装置などもとても充実していて、常に本物に触れながら調査できる環境が整っていました。私は研究もすごく好きだったので、そのまま大学院に残ることも考えたんですが、その一方で実際の現場を見てみたいという気持ちもあったので、先生に相談して、まずは現場を見てみるという選択をしました。そして研究か現場か、という模索は今も続いています。無いものねだりなのかもしれませんが…(笑)。
ずっと好きだったことが仕事として成り立っている喜び
――齊藤さんが感じるこのお仕事の魅力とは?
齊藤:ちょっと公私混同してしまってるところがあるんですけど、私は昔から美術館で絵を観るのが好きで、そこから「もっと知りたい」「触れてみたい」という思いにつながりました。なので、顕微鏡レベルで情報を拾い、手で触れながら仕事ができている今が本当に楽しいんです。額から外して側面を見たり亀裂を見るだけでもゾクゾクしたり(笑)、結構マニアックな喜びがあって。なので、自分の好きなことが仕事として成り立っていることに日々感謝しています。
後世に残る仕事ができているという実感は何ものにも代えがたいですし、他の誰かがその作品を見て感動したり、「この先も残していきたい」と思ってくれたら修復士冥利に尽きますね。
――今後の目標などあれば教えてください
齊藤:やっぱり技術職なので、その技術を共有していけるようなワークショップを他の人と一緒にやってみたいと思っています。横のつながりで情報を共有して、みんなで技術の底上げをしていける場を設けてみたいですね。
――修復について学べる大学があること自体、貴重かもしれませんね
齊藤:そうですね。日本は世界と比較しても修復について学んだり、トレーニングできる場が少ないんです。海外だとインターン先がいっぱいあったり、大学で学んだ後、就職する前に実務経験を得られるような場もあるんですけどね。
――修復士になるのは狭き門という中で、受験生が今のうちからしておけることはありますか?
齊藤:入学する前から、学科の先生に会いに行ってみるのもいいと思います。それから保存科学の先生や立体修復の先生など皆さん口を揃えておっしゃっていたのは、「実際にいろんな美術品を見なさい」ということ。美術館に行ったり建築物を見たり、とにかくそういった文化的なものを見るところから仕事は始まる、というアドバイスを受けました。それは私も高校生の時からずっと続けてきたことで、今も仕事に関係なく展覧会を年間70カ所ほど回ったりしています。私自身、続けてきて良かったと思うことの一つなので、ぜひ皆さんにもいろんな作品を見てもらって、それを考えるきっかけにしていってほしいですね。
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高校生の時に修復士という職業に出会い、以降ずっと思いを馳せてきた齊藤さん。恩師との出会い、そして、実際に本物に触れる機会に恵まれていた文化財保存修復学科での学びが、夢への扉を開く大きな活力になったことは間違いありません。「作品のことをもっと知りたい」と真摯に向き合い続けるその姿から見えたのは、飽くなき探求心と作品に対するリスペクトでした。
(撮影:永峰拓也 取材:渡辺志織、企画広報課?須貝)
東北芸術工科大学 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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