【後編】卒業生作家たちに聞く、学生時代から現在に至る道のり/「ART-LINKS」トークイベントレポート 城下透子(卒業生ライター)

インタビュー 2024.03.27|

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自然の一部として、自身を見つめる創作活動

深井:続きまして外丸さん、お願いします。

外丸:こんにちは、外丸 治です。木彫の作品を作っています。
僕が大学に入ったのはだいぶ前ですね。1999年に8期生として入学したんですけど、そのころはまだ開学したばかりで、今と違って大学の知名度も全然なくて。芸工大を選んだ理由は、ほぼ“勘”なんですけど、やはりアートをやるには自然に触れて感性を磨いたほうがいいんじゃないか、という想いはありました。僕自身、昔から自然がすごく好きで、キャンプや山登りを楽しんでいたこともありました。そういった自分の興味に近い環境で、芸術を勉強したいなと思って、芸工大を選んだんです。

ART-LINKSトークイベント

外丸:ただ、当時通っていた美術予備校の先生たちからは、ことごとく「やめておけ」と反対に遭いまして……(笑)。

知名度がない大学だったので、心配してくださっていたと思うんですよね。「浪人してでもいいから都内の美大に行け」と言われたんですけど、僕も頑固なところがあって。自分の勘所を頼りに決めました。
でも、結果それが良かったんですよ。同級生たちも、有名な美大がたくさんあるなか、わざわざ芸工大を選んで入ってきた人たちなので、人間性が濃かったですね。あと、山に囲まれていて、民俗学が盛んで、「生と死がすごく近い場所だな」と思いました。入る前はそんな場所だったとは想像もしていませんでしたが、そういった文化的な奥行きが魅力的に感じられて、自分の作風にも影響がありました。

深井:僕も昔、予備校の教師に逆張りをしていたのでよく分かります(笑)。2つの美大に合格したんだけど、先生たちに「行け」って言われたほうには行かなかった。やっぱり直感みたいなものはすごく大事だし、おそらく、その大学にしかないものを本能が求めていたんだろうなと。初期の芸工大生には、まだ何もなかった、何もわからなかった、まっさらなところに飛び込んでいった勇気に敬意を払いたいですね。今は街中にいっぱい卒業生たちがいて、面白い個展をやっていて。で、その様子を知ってか知らないか、下の世代も盛り上がっているという構造は、すごく良いなぁと思っています。

外丸さんは、彫刻コースの出身なんですけれど、彫刻という厳密な枠組みにいるわけではないという気がしています。たとえば器やお面も作っていたりとか。自分の作家性みたいなところに関しては、どうでしょうか?

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外丸:大学卒業後は、働きながら細々と制作活動を続けていて。そのうち、工芸にも興味が出てきて器を作るようになりました。木を彫って、自分で漆を塗って仕上げるというかたちで始めましたね。
彫刻と違い、器は工芸品ですが、器を作るようになってから、自分のなかでアートと工芸の境界が曖昧になってきたんです。使っていない状態の器でも、オブジェのような存在感があるというか。器は植物を盛るためのものですが、その「植物」ってなにかといえば、生きていた命の死体ですよね。なので器は、命を盛る?受け止めるオブジェだなと思いました。

今回の作品には、器のような彫刻もあります。『ミズチ』という作品ですね。生命が生きていくための“水”をテーマに制作しました。

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外丸:まず、水の根源というか生まれる場所として山があり。いろんな生き物たちが山の水を飲んだら、それが呼吸となって水蒸気にかたちを変え、また山にぶつかり、山に水分が集まって……。時間を越えて、人以外の生き物、いろんな動植物の呼吸が山に登っていって、そして帰ってくるのをイメージして、その精神的なものを受け止めるために、器のような形を考えました。

深井:「お椀の口」「茶碗の腰」という言葉があったり、壺の横に2つついている持ち手を「耳」と呼んだり、器の構造は人間の身体とほぼ同じ呼び方なんですよね。もともと器、特に壺状のものは、人間と比較されてきた歴史があります。そういうところをコンテクストでつなげていけるといいと思います。

三瀬:僕は外丸さんの作品を初めて見たときに「見つけた!」と思ったんですよ。「こういう造形を見たかったんだ!」と思わせられるような、この土地の気候風土と結びついた造形で。普通、彫刻ではボリュームを意識して彫り、刻みますよね。でも外丸さんは、そのものの本質が現れるまで削ぎ落すように彫り出しているように見えます。さっきお話にあった“水の循環”を表すために、木という素材がギリギリのところまで痩せ細っている。これは西洋的な彫刻のアプローチとは違いますよね。彫刻的なものと工芸的なものが絶妙に組み合わされている造形なんだな、というのがすごく感動的でした。

外丸さんは、山形市内の長谷堂という集落で、立派な蔵のある古民家に住んでいます。僕も何度かお邪魔しているんだけど、家を自分でリノベーションしていて。自分の住まい自体を彫刻している感じがありますよね。生活と造形の関係でいうと、今はどうですか?

外丸:3年前に、地元の群馬から長谷堂に移住しました。地元のほうは都市化が進んで、自然が離れてきているんですよね。6年間を過ごした山形は、自然と文化とが同居していて、創作の場として自分のなかでぴったりきたので、呼ばれていないのに行っちゃいました(笑)。

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外丸:今住んでいる家は、築140年の明治時代の建物で、自分で直しながら暮らしています。床をはがすと、構造が出てくるんですけど、石の上に建物が乗っかっているだけなんですよね。 現代の耐震構造は「いかに自然をガチガチに固めて災害を耐えるか」というものなんですけど、古民家の伝統工法は「柔構造であえて揺らして、力を逃す」というもので、自然と対抗するのを放棄している。ある種の諦めのような……。

力でねじ伏せるのではなく、一緒に揺らいでいくんです。そういった構造の家にいると、まるで生き物の中に住んでいるかのような感覚があります。家が自然素材で作られているという点もそうですね。植物の構造を、大工さんが最大限に生かして建ててくれたので。そう考えると、自然に従って暮らしているような。

古い家に暮らしていると、自分の存在は、数ある生命のうちのわずかな一粒にすぎないな……、という感覚になります。大きな流れのなかで日々を過ごして、そこで得たもの、感じたものを積み重ねていって作品を作れたらいいな、という気持ちが最近出てきました。自分の手のうちにあるものを表現するのではなくて、自然に委ねるというか。なので、制作にあたって正確なデッサンはあまりしておらず、日々感じたことの積み重ねでかたちを作るというイメージで考えていますね。

三瀬:僕が東北に来て初めてわかったのは、奈良や京都は自然災害の少なさから都があったんだな、ということです。山形にいると、雪害などで年に数回「死ぬか?!」と思うような経験があります。お話にあった「死と人間が近い」がまさにそうで。人間の行動が自然環境に制限されるのは、僕の出身地からすると当たり前じゃなかったから。
「大自然の片隅に住まわせてもらっている」みたいな。そういった土地で生まれる造形と、プロテクトされた都市圏で生まれる造形は、当たり前だけどやっぱり違う。山形の生活のなかで、外丸さんが日々覚える感覚は、素材との対話にも大きな影響があるんだろうなと思っています。

今回の新作は、完成まで3か月かかったそうですが、素材となった木とも、生活のなかで出会ったんですか?

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外丸:あの木は、農家さんにいただきました。端材として。たぶん本当は、薪なんかに使って、というつもりだったのだと思います(笑)。これは「佐藤錦」という、山形の有名なさくらんぼの木の枝です。長さはまったく加工せず、いただいたときのままですね。皮をむいて彫り込んで、最後に漆で塗り直しています。

“木を彫る”という行為は、木を傷つけているともいえますよね。でも、木目にきちんと従っていかないと割れてしまうので、自分が能動的に木を扱っているようで、その実、逆に木に操られているような感覚がありました。そんな、逆転した状況が面白いなと思います。

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「私にしか描けない線」を今日もさがして

三瀬:最後に、古田さんお願いします。

古田:古田和子と申します。出身は東京で、芸工大への進学を機に山形に移住してきました。

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古田:山形に来て驚いたのは、季節の移り変わりがすごくはっきりしていることです。春は、あらゆる幸せを詰め込んだような空気で満たされる一方で、冬になると「全部の植物が死んでしまったのかな」と思うほどに、何もなくなってしまいます。でも、不思議とまた春がやってくる。そんな環境が、すごいなと思って学生時代を過ごしました。 その感覚が、自分の作品にどんどん影響していきましたね。「自然と付き合うこと=生きること」という考えを持って、生きることそのものを絵に描けたらいいな……、という想いで学生時代から絵を描きつづけています。

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古田さんの作品

「ひじおりの灯」を通じて、創作には、自分のなかにあるイメージをアウトプットするだけではなくて、誰かとつながるという側面もあるんだなということを知ったんです。 灯籠絵によって、観光客の方々が大蔵村という土地の魅力を知ったり、温泉街の方たちが「ここって、こんなに素敵な場所だったんだ」と新しい発見をしたり。この体験を通じて、アートの役割を発見することができました。
今は、出身の日本画コースではなく、プロダクトデザイン学科で副手(事務職員)をやっています。“人に寄り添う”という観点での、もの作りにも興味があるので、副手の仕事を通して日々学んでいますね。

三瀬:今回の作品は、動物のモチーフがたくさんありますけど、あれらは実際に、生活のなかで出会ったものなのかな?

古田:そうですね。まあ、ライオンは違いますが(笑)、熊の絵は、それこそ肘折温泉に行ったときの体験がもとになっています。
当時、大蔵村の森を散策したのですが、杉の葉っぱの絨毯がすごく素敵だったんです。それで、その年の灯篭には、葉っぱの絨毯と、その上を通ったであろう動物と、それから自分自身を描きました。今回の熊の絵は、当時を思い出して描いています。

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古田:あとは、鹿が泳いでいる絵も描きましたね。一時期、牡鹿半島※でいろいろ取材して描かせていただいていたことがありまして。牡鹿半島の先に、金華山という小さな山があって、そこから泳いで島に渡っていく鹿がいるんだよ、という話を聞いたのが印象に残っています。実際に泳いでいるところを見たわけではないのですが、半島では鹿をたくさん見ました。

三瀬:古田さんは入学時から、絵がすごくうまくて、画力において教えることはありませんでしたね。今の作品は写実からは遠く離れてかなりデフォルメされて描かれていますが、どういう経緯で描くようになったんですか?

古田:きっかけは、大学院のプログラムで、フランス人の作家さんのサポートをする機会があったときの体験です。
これまでの人生で、外国の方と話す機会自体なかったですし、それがしかもアーティストさんですから、どういうことを考えているのかな、と思って。それで「美術って、何なんでしょうか?」みたいな……、すごく大きな話を聞いてみたんです。そうしたら相手の方が「その人の目線、その人が見える世界を、ほかの人に見せることだよ」と教えてくれて、それがとても腑に落ちたんですよね。世界中のどこかに、似たような人生を生きている人はいるかもしれないけれど、一緒の人生を生きている人はいないですよね。それに気づいて「私の人生で得てきた、私にしか描けない線が描きたい!」という欲望が湧いてきて。それで、あんな形を描くようになりました。

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三瀬:それは大きな体験だったね。 僕はいくつか古田さんの作品を持っているんですが、絵画作品だけでなく、いろいろな形式のものがあるんですよね。自分の作品を、どういったかたちで大事なものとして受け取ってもらって、所有してもらうのか。そういうことをこれから研究していくのかな、と思いました。

今後の展開について教えてください。

古田:おばあちゃんになるまでに「すごい絵を描いたぞ!」と、自分で思える絵を描くのが、まず大きなひとつの目標です。毎回、大好きな作品を作っているつもりなんですけど、それでも自分としては、まだまだ満足できない部分がたくさんあるので。

あと、違う土地での生活にも興味があります。山形に来て私がここまで変われたのだから、また違う土地に行ったら、そこで描ける線や使える色がきっと見つかるはずだなと思うんですよ。なので、どこかにまた移り住んで、自分の可能性を見てみたいという欲求もあります。

三瀬:「おばあちゃんになるまで」は、芸工大生特有の、粘り強くものを作りつづけるというスピリットを感じますね。

みなさん、今回はありがとうございました。全員の、今後の作家としての活躍をどうか応援してあげてください。

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(文:城下透子、撮影:法人企画広報課?加藤)

城下透子(しろした?とうこ)

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東北芸術工科大学 広報担当
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